オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

松永久秀や悪党について考えてみた

英雄たちの選択という番組が好きで、しょっちゅう見ているが、何と松永久秀が特集されていた!松永久秀が英雄?といわれると首を傾げてしまう人は少ないないだろう。斎藤道三宇喜多直家と並び称される戦国三大悪人の一人だし。
信長が(信長自身も魔王のようなものだが)久秀を家康に対して「将軍を殺し、主君を殺し、東大寺を焼いた」と紹介したというのが、有名な逸話だが、まあ本当のことだから仕方がない。弁解の余地もあるまい。

一時は畿内の覇権を握った久秀は、数度の造反・謀反の末、結局信長に滅びされてしまう。番組では大和(奈良)支配の過程で、中世宗教勢力や地侍勢力と和していかなければならなかったところから久秀の限界を語っていた。確かにしがらみがない濃尾平野に育ったからこそ、信長が信長たりえたのかもしれない。

悪。まあ、よろしくない。しかし、それはそれを都合が悪いと思う側の理屈である。将軍を主君を殺そうが追い出そうが、それが新しい秩序構築に繋がっていれば、新しい時代を切り拓いたことになるだろう。それでも東大寺を焼いた件は、どうかと思うが。
悪党。楠正成が悪党と呼ばれていたという説がある。これは大楠公に何たる侮辱!ではなくて、彼が御家人ではない鎌倉幕府にとって非正規軍であった出自からきているようだ。正当=将軍から認められている。悪党=それ以外の武士という構図だ。網野先生は悪党が中世社会に果たした役割を積極的に評価していらっしゃるが、ダイナミクスとして、様々な立場や利害が絡み混沌とした室町時代が、実はとても人間くさい時代であったことを象徴している気がする。

松永久秀も、出自がはっきりしない。いわゆる実力でのしあがってきた人だ。松永家などという守るべき家柄を気にしている気配はない。だからこそ、自由に自在に心の赴くままに「悪事」を成し得たのだろう。おそらく大半の良識人は呆れかえっていただろうが、こんな人物が横行していた時代は、何だかおもしろい。