オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

何が気になる?何を気にしている?

とてつもない情報量を享受できる時代になった。わからないことは、ネットで調べれば正確さや深さはさておき、何となくわかったような気になる。だから、わからないことに対するこだわりや追究力が弱まっている気がしなくもない。百科事典の時代は、あの重い辞典を書棚から抜き出して、しかもある程度の長い文章を読みこなさなければならなかった。ほんの30年位前までは、わからないことをそうやって解決していたのだ。すると文章の中にさらに意味不明な言葉が登場するとそれも調べ始めてしまうので、自動的に一つの知識を知ることが、他の知識の習得に結びついていたように思う。
大前提として、わからないことが気になって、調べてみようかなぁという気持ちが動くことが大切だ。知識の習得とは、それが先々役に立つか?立たないか?は置いておき、モヤモヤ感を解消することが、大きな動機になっていると思う。わからないことは誰かが教えてくれるのを待つのではなく、自分で聞いたり、調べたりした方がいい。

でも「何がわからないか?がわからない」というケースがある。問題や課題を言葉単位まで具体化できないのだ。実はここが大きなポイント。「何がわからないか?」がわかる位なら人生そんなに悩むことはないのだろう。大げさに言えば、人生は「何がわからないか?」を求めて、さまよう時間なのかもしれない。一つの問いがスパイラル状になり、その渦に飲み込まれてしまう。
例えば「生きることの意味」のようにネットで検索をかけても答えなどどこにも載っていないようなスパイラル課題は、自問し自分なりにとりあえずの答えを出すことでしか浮上できない。