オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

一人で歌う、大勢で歌う。2

一人で歌う。薩摩琵琶の場合。
琵琶は、雅楽空間から飛び出して以降、ずっと独奏楽器であった。すでに音楽史上のエポックになっているけれど、武満徹が薩摩琵琶の鶴田錦史に「ノヴェンバー・ステップ」の演奏を依頼するまでは。
平家琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶・・琵琶と共に、語ってきたのは、その多くが歴史上の悲話である。
オペラで最もウルウルする場面をソリストが歌うように、演劇上の名セリフの多くがモノローグであるように、個人の語り口こそが情景描写や感情移入に適しているのだと思う。
琵琶とは対照的にダイアローグを中心に進める落語だって、泣かせにかかるシーンは、モノローグになるでしょう。

一人だからこそ、自在に表現できるのは、西洋音楽の言葉を借りれば、リズム・テンポ・強弱・音色など歌に必要な要素すべてと言っていい。しかも、楽譜上に定量的に記譜された音符で伝承されていないので、師匠から教わった語り口が、個人の中で時間をかけて熟成した時に、表現になる。だから、そもそも集団での歌唱が不可能なのだ。
もし、仮に記譜したものを合唱曲に書き換えたとしても、それは現在の琵琶の語りとは、だいぶ異質な、別な表現に変貌してしまうだろう。