その子に何が必要で、何が適しているか?そもそも何を求めているか?一人ひとりが学ぶことは、ますます個別化しているように感じている。
しかし、全体で共有すべきとされている部分があまりにも巨大で、しかも多くの時間が使われている。
例えば、リコーダーの指づかい。どの学校でも各学級でこの学校以外では使わない人気がない楽器に苦労する子が必ずいる。それを教師が一生懸命サポートする。しかし、あれを覚えたことが大人になって、役に立つとは思えない。簡単な音だけでいいから、作音楽器であるリコーダーだからこそ追求できる純正律のハーモニーを感じ取らせた方が、ずっといい。
他の教科でも、要は本人が、いつ、その面白さや奥深さに気づくか?という話だろう。その子の個性をどう見抜いていくか?という話。生まれつき目が見えない辻井伸行さんが、ブーニンの演奏にだけ反応した話は有名だけれど、この子はこれをしている時に楽しそうだ…を本人はもちろん親も教師も見つけたい。
見つかれば、もうそれで教師の役割は、おしまいと言っていいとさえ思うのです。