オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

自由な表現者とは?〜40年サザンを聴き続けてきて〜

2018年平成最後の紅白歌合戦は、サザンで終わった。サザンは特別ゲスト的な扱いであったと思うが、完全に紅組 石川さゆり、白組 嵐のパフォーマンスを食ってしまい、サブちゃんは呼ぶし、ユーミンは桑田にチューするし、テレビ画面いっぱいにいつもの紅白歌合戦では、ありえへん光景が展開した。紅組も白組も関係なくて、音楽が楽しければそれでいいじゃん的な、ありとあらゆる理屈をぶっ飛ばす時間だった。
翌日元旦にサザンは、四十周年記念でNHKの特番に出ている。特に後半は誰もがみんな知っているヒット曲のオンパレードで、ほろっとする位とても楽しく、テレビ越しにサザンをずっと聴きながら生きてきたことが改めて実感できた。

何がすごい?って、それは桑田の作詞作曲能力とかバンドのチームワークとか演奏力ではない。還暦過ぎているのに、相変わらず凄く自由で、もう誰も止められない感満載のパワーなのだ。
自由であり続けることは、誰に取っても理想なのだが、実はとても難しい。
既成の枠組み、常識の範囲内で事を済ませた方が、楽だし批判を受けることも少ない。でもそれと引き換えに、獲得できたかもしれない表現の可能性を捨ててしまっているのだ。

バンドという形態であること、ポピュラーミュージックであるという枠には一応収まっている気もするが、時々ソロになってみたり、音楽的にも引き出しにはたくさん人には見せられない秘密の音が隠されているのだろう。それはきっとポール・マッカートニーもそうだ。

自分自身に戻ろう。サザンを横目に見ながら、ある意味憧れながら、40年生きてきた。自分はバンドをしていない。代わりに合唱やったり、昔は指揮してみたり、今は薩摩琵琶を弾いたりしている。
実は人間は、本当は何を表現しても構わないはずなのだ。大事なのは、自由でいること、自由でいつづけることなのだから。