オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

逃げ場所がないのに、追い詰める。

先月、悲しい事件が報道された。一つは児童虐待により小学4年の女の子が亡くなった事件。もう一つは、道路上での煽り運転と暴行事件。
二つの事件に共通しているのは、逃げ場所がないところへ人を追い込もうとしていることだ。いじめも同じだが、追い込まれて逃げ場所を失ってしまう。
児童虐待の事件は、本来逃げ場所として機能を果たすはずだった児童相談所が、その役割を果たさなかったことに、案の定非難が集中している。もちろん責任を逃れることはできないだろう。子どもを守るために働いている人が、子どもを攻撃している人にあっさり渡してはいけないのだから。

しかし、なぜ人を追い詰めようとするのか?不気味である。ひょっとすると、人類が、まだ山野を駆け回り、獲物を追いかけていた頃の記憶が残されているのか?ターゲットをロックしたら、ロックされた側がどんな心理に陥るか?これについても似たような事案があった。

家の中で子どもが虐待を受けたら、車が他車に異常な接近を繰り返したら、自動的にシグナルが出るようなチェックシステムでも作らないとわからないのか?または一部政治家が恐らくは試みるだろうし、きっとそうなりそうな厳罰化を法律で決めるか?
しかし、それ以前になぜ自分で自分のブレーキを踏めないのか?そのことの方がずっと恐ろしい。しかもその因子は誰の心の底にも疼いているのだろうから。