オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

平成とはどんな時代だったのか?2

もう一度「ゆとり教育」を振り返る。

ゆとり教育」を検索すると、こんな文言に出会う。校内暴力、非行、いじめ、不登校、落ちこぼれ、自殺など、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、橋本内閣下の1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。答申は子どもたちの生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。その上で答申はこれからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付けた。

2019年現在は、脱ゆとり教育らしいのだが、子どもたちを取り巻く課題の中で、何か一つでもいいから、上記の課題が解決の方向に向かっていることがあるのか?と問いたい。相変わらず残念な実態が継続かつ悪化している。もちろんゆとり教育が続いていたら、望ましい方向に向かっていたか?もわからない。ただ、分厚い教科書と同時に、詰め込み教育が復活したことで、子どもたちが逃げ場を無くしていることは確かなことだと思う。

一寸先の未来は、時代を問わずいつだって闇の中である。でも、それならついでに今までの教育内容もリセットして、子どもたちの育て方を考えなおしてみようというのが「ゆとり教育」の時代がくれたチャンスだったと思う。平成という時代は、こんな試みをしていた時代であることを、深く刻んでおくべきだと思う。