オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

やっぱりサザン、結局サザン4

情の桑田と知の原ボー その2

ちょっとだけ、お二人が育った街や学校のことを書いておこう。桑田のお父さんは、茅ヶ崎駅近くにある映画館を経営していたらしい。高校三年間茅ヶ崎駅をウロウロしていた私は、あの映画館の事か!とすぐわかる。私の方が学年は一つ下になるが、彼が卒業した中学校から私の高校にはたくさん来ていたので、後年サザンがメジャーになってから桑田のことを知っているというただそれだけの事実が、茅ヶ崎一中出身の友との会話に挟まることがあった。また桑田の姉がかなりすごいジョンレノンファンで、小野洋子ことをよく思っていないという捻れた感情から辻堂桜花園通りの実家に投石するエピソードがある本に出てくるが、桜花園通りの小野家は中学校の帰り道だったので、よく前を通っていた。でもそれもただそれだけの話であります。
茅ヶ崎には、当時御大加山雄三尾崎紀世彦など、一世を風靡した方々が海沿いに住んでいた。桑田がそのことを知らなかったはずはないと思う。彼は野球少年で当時もほどほどに野球が強かった鎌倉学園に進学するが、野球をやりながらだって、その心のBGMには湘南サウンドが波音を立てていたと思う。少年時の環境や経験と、後年創造される音楽には因果関係がある気がする。いずれはもう少し詳しく書いてみたいな。

桑田の同級生でありサザンオールスターズ命名者でもある宮治淳一さんが「MY LITTLE HOMETOWN 茅ヶ崎音楽物語」という本を著していて、ロック少年だった頃の桑田の様子がよくわかる。