オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

濁音と圧迫感

古来、日本人は濁音を好まなかったと聞く。百人一首に濁音が表記されていないのはそのせいだと思っています。
ところが、日常濁音を含む言葉がかなり圧迫感をもって発せられます。
勉強、努力、頑張る。頑張るは四音中二音が濁音です。
どうでもいい、なぜ…
語尾も、すれば…、いいじゃん…。

もはや何も感じていないのかもしれないが、気にし始めてしまうと濁音はやはり耳障りなのだ。音色で言えば非整数倍音的な響きを伴う。これらの言葉がたまにアクセント的な刺激として用いられるなら、まったりとした生活に一石を投じるだろう。
しかし、実に多すぎる気がするのです。和語が元来もっていたはずの響きを、もっと大切にすることはできないのでしょうか?