オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

自分の祈りを取り戻す。自分の言葉や歌を取り戻す。

南無阿弥陀仏だって、Amenだって、所詮は借りた言葉だ。自分の願いや祈りを、仏や神への共通語で括っているのだ。
本当は、自分の気持ちは自分の言葉でしか確かめられない。でも説明や理屈を阻む理性が及ばない部分について、宗教が提示してくれる祈りの言葉は有効なのだ。だからただ唱えていればいいのではなくて、共通語を唱えながらも自分の中にある自分にしかない言葉を探すべきなのだ。
共通語の話は、日本語教育の中で全国津々浦々浸透している標準語にも当てはまる。標準語で語ることによって、抜け落ちてしまったニュアンスがあることを忘れてはいけない。関西弁が民放局の全国放送でたびたび聞かれるのは、標準語では伝えられないニュアンスを多く含んでいるからだろう。