オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

可視化できる自分と透明な自分の闇

今年5月〜6月にかけて、ひきこもり者による事件が続発してしまった。ひきこもっている状態はまちまちであろうから、一般化した議論は困難だが、ふと私は20年以上前のサカキバラ事件を思い出していた。
子どもたちの心がわからず、深い闇に覆われている場合何を手がかりにすればよいのか?本当に真剣な議論が必要だった時代があった。横浜市では、目指す子ども像の提示による弊害を率直に反省し、一人ひとりの成長課題に沿ったサポートのあり方が、新よこはま教育プランとして教師に提示された時代でもあった。
私は、本人にも見えずに苦しみ迷っている部分よりも、見える可視化できる部分を、しっかり見つめていこうという話を覚えている。
わからないものは、周りにはもちろん本人だってわからないのだ。全てが闇に覆われてしまう前に、見えるところから始める。ひきこもり対策だって、そこから何か動き出せないものだろうか?