オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

ますます加速していく時間の中で2

時代から求められる能力の変化

時代はいつもその状況に応じた能力を人々に求め、教育してきた。江戸時代の武士にとっての教養とは、儒学を基盤にしたものだったし、町人も寺子屋で、それぞれに将来就くであろう職業に合った教育がなされていた、例えば商人なら算術とか、一人一人使うテキストが異なっていたらしい。
明治になって富国強兵・殖産興業が国是となると、西洋に追いつき追い越せで、まず学校を作り、すべての国民に同じような教育を受けさせようとした。(少なくとも初等教育においては)大きな成果としては、ほとんどすべての国民が文字が読み書きできる国になったということだろう。江戸時代においてもすでに武士は100%、庶民でも50%くらいの識字率があったのだから、日本の識字率はおそらくここ数百年世界一である。それでいて、漢字、平仮名、片仮名の三つの文字を使いこなすのだからすごい!
さて、グローバル化とか言って、世界中のあらゆる地点と瞬時に情報がやり取りできるようになった現在、時代から求められる能力とは何なのか?それがわかれば苦労はないとばかりに、何でもありの「総合的な学習の時間」を作ってみたものの、私には、問題と正対し解決する能力が本当に育まれているのか?よくわからない。
社会規範が揺らいでいると思えば道徳の教科化を掲げ、いじめで子どもの命が奪われれば法律を慌てて作り、それはそれで正しいのだろうが、大慌てで右往左往している大人を眺めながら育っている子どもたちには、ますます未来を不安に感じてしまうのではないだろうか?
もちろん変わらない、いわゆる不易の価値もある。「知徳体」とか「自立と共生」(平たく言うと「元気でなかよし」)とかがそうだ。それらを念仏のようにただ唱えているだけでは、時代に置いていかれそうなので、困っていることもよくわかる。今までもどこかでつぶやいたかもしれないけれど「人権に対する感覚・アンテナ」「世界平和についての信念」「地球環境に関しての問題意識」あたりは、今最も必要とされている知恵と捉えていいのかもしれない。どうでしょうかね〜。