ブラックジャックのピノコ。鉄腕アトムのウランちゃん。時には面倒臭くて、鬱陶しい彼女たちは、守るべき存在を象徴している。強い存在として、ブラックジャックやアトムがいるなら、その対称的な存在として、ピノコやウランは必要不可欠だったのだろう。
手塚漫画には対称的な立ち位置が不可欠で、正義の反対側に悪が。生の反対側に死が描かれている。
ところで守るべき存在とは何か?寸にうかんむりを付けて、守という字がができている。小さきものを、保護する意味であろう。
しかし、南青山で児童相談所の建設に反対している人、沖縄の美しい海を埋め立てて新しい基地を造ろうとしている人、原発を再稼動させたい人々に、守るべき存在が見えているのだろうか?
何かを優先しなければならないのは世の常としても、それが一部住民の妙な資産意識や、二度と戻らない自然を破壊することにためらいを感じない心は、どうかと思う。
気がつく範囲で、できる範囲から、守るべきものを守らなければならない。それはもはや使命なのだ。