オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

マクロ教育とミクロ教育2

ところで時代を遡り、我が国に学校というものがなかった時代。いや、世界にもなかった時代は、すごく昔の話ではない。公教育が成立したのはせいぜい250年くらい前の話。おもに初等教育に限るけれど、ヨーロッパでは家庭教師をつけて我が子を教育する伝統があった。ほら、サウンドオプミュージックのマリア先生だって!日本は、武士の子は藩校で漢学とか学んでいたけれど、庶民のために寺子屋があって、それぞれの子に応じた柔軟なカリキュラムで教育していた。
教育とは、それぞれの子に応じて、その子が必要とする教育を考えることが、第一義で大切なのだ。これをミクロ教育の視点と呼ぶことにしよう。
ところが国単位で教育制度が整備され、国民が皆同じ教育を受ける権利が確立してから、皮肉なことに個人の事情より国で定めた教育内容・教育方法が優先されるようになってしまった。悪名高き偏差値教育も、同じ教育を受けているはずだから同一の基準で学力を測り、横並びに順位付けしてよいという発想から来ている。もし一人ひとりが違う内容を学んでいたら、偏差値教育は成立しない。