大学を受験した年から、もう45年になる。正規職員は59歳で辞めたので、仕事最優先の生活ではなくなってからもう4年くらい経つ。その間、今まで読めなかった本に結構ふれることが出来ている。読んでいる本は、文学以外のジャンルで、基本的に何かを学ぶために読んでいる。文学だって表現主題や文体など、様々学べるが、関心のありかがそこにない。
学び直すなら、学び始めるなら、大学とかカルチャースクールに行けばいいのだろうが、本を読んでいる。自分が何を学びたいか?テーマが結構広いこともあるけれど。
そもそも自分自身も学校の先生のくせに、学校が苦手である。教壇の前にいない時、つまり受講者の時は決まって一番後ろの隅に座っている。もちろん先生に顔を覚えてもらいたいなどという欲はない。かろうじて先生の言葉が聞きとれればそれで十分。先生の話を聴きながら、別のことを考えることができる。何か心に留まったことがあれば、それを受け止めておく装置が必要なのだ。それはノートでいいわけだが、先生がおっしゃった言葉、板書されたキーワードしか書いていないノートはつまらない。そこから自分自身がどうイマジネーションを広げられたか?が重要で先生のお言葉はそのきっかけを作ってくださっているに過ぎないのだ。だから最前列で先生と向き合って講義を拝聴すると、そんな余裕はないわけで、いつでもボケ〜っとしていていい、空間が大事なのだ。
何かを学ぶ。最も効果的なのは個人レッスンであり、日本にも昔から師匠と弟子というマンツーマンの関係があった。学びのターゲットが絞られて、尊敬できる先生が見つかればそれが一番いいと思う。現に私はそうやって琵琶を学んでいる。ところが、大学、高校でもいいが、あまりにも多くの学生、生徒が教室に詰め込まれており、当然一人ひとりの学力に差が生じるようになっている。この仕組みに渋々納得している時代は終わりにしていいと感じているのですが。