オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

兵農分離の歴史 〜私たちは武器を持たない〜2

武力をもって権力中枢を脅かすのは、平将門に始まり、源平の争乱へと続くのだが、武士と言っても、日頃は田畑を耕しており、いざとなったら武器を持って戦う程度のもので、基本的には自衛目的の武力だったと思う。要するに自分の土地が一番で、それを権力が保証してくれさえすればよい。一所懸命←御恩と奉公の関係である。平和をかき乱す原因としての武力ではなくて、むしろ互いがある程度の自衛力を保持することにより平和が維持されていたらように思う。

これが一気に崩れ去るのは、応仁の乱。武力が不当に乱用され、全く混乱してしまったのだ。そして織田信長が登場する。彼は戦闘を専門にする傭兵軍団を抱え、天下統一に邁進したのだ。半農半武の地方勢力の出動が農事ごよみを配慮していたのに比べて、一年中フル回転して軍を動かすことが可能だった。

傭兵の中には、一国一城の主を目指した足軽もいただろうし、実際織田軍団の大将は、秀吉を筆頭に怪しげな出自の者が結構いる。

やがて秀吉による天下統一後、朝鮮出兵という歴史的な愚挙をやらかす。平和な日本の訪れと共に、前回述べた刀狩りが行われるが、戦闘集団をどう平和な社会に位置づけたらいいのか、まだわからない。その宿題は徳川幕府にまで持ち越されたのだ。窮屈極まりない封建社会ではあっても、ひとまずは平和な江戸時代となる。もう武器はいらなかった。