オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび33

45年前の思い出話。

私が大学を受けた頃は、まだ一期校とか二期校と言って、一期校に落ちた受験生がもう一度別の国立大学を受けることができた。私は一期校日程(某公立大学)で落ち、ついでに何と予備校まで落ちてしまった!ので、ギリギリ最後に受かった横浜国立大学にお世話になった。この大学は、第一希望で入学してくる学生がその頃はとても少なく二期校コンプレックスなどと揶揄されていた(国会の発言でさえ!)のです。

その頃の国立大学は、授業料が一年36000円と今に比べれば信じがたい安さ(少し上の先輩はさらに安かった!)で「安い、近い、入れてくれた」の三拍子が揃った大学に入学させていただいたのだ。当時我が家は急な引っ越し等で、かなり物入りであり、とにかくどこかの大学に引っかかったことを喜んでいる親に浪人させてくださいなどと言い出せる状況ではなかった。

キャンパスは、ゴルフ場の跡地に文系学部の真っ白な校舎ができたばかり。私の代は、入学当初から常盤台キャンパスで過ごした初めての学生であった。校舎の前には飛び越せる位の高さしかない苗木が植えられていた。ずっと飛んでいると忍者になれるとある友人が言っていたが、植生学の宮脇先生の講義では、この苗木がやがて森になるとの話だった。45年経ち、実際に見上げるような森ができている。もちろん誰かが忍者になった話は聞いてない。

ちょっと地味めの母校だけど、最近工学部方向に相鉄線の新駅ができて、大学の名前が付いている。僕らの頃は和田町から、嫌になるくらい長くて急な坂を登っていたからなぁ。駅名になったので知名度も少しは上がるかもしれないな。