タケさんの教育論2
本当はいつ何を学ぶのがよいのか?2
言葉・文字の学習は、とても大切で私たちの思考形成に直接影響する。ところが日本語の習得は時間がかかる。ひらがな、カタカナ、そして膨大な数の漢字とその複雑な読み方がある。発音の仕方はそれぞれでもアルファベットで事が済む国々との大きな違いだ。
学習の順番としては、書きやすさ、使われる頻度を配慮すればいいと思うのですが、えっ!この字教わってなかったの?ということが、低学年の授業をすると時々起きてしまう。さらに教科をまたぐと他の教科では、正々堂々?と国語でまだ学習していない漢字が使われていたりする。算数でもまだ百分率を教わっていないのに、社会科で円グラフが出てきたりする。
結局は、読み取れなければ何もわからないのだから、その場その場で覚えていくのがいいのだ。だから読書好きだったり、新聞を読む子はよく言葉を知っている。
いわゆる読み書き算盤(算数)を基礎学力として、一斉に全生徒に身につけようとした。だからこそ平均的な学力が高い。皆で同じこと方向を向いて日本株式会社を成長させる時代は、それでよかった。しかし、何でもありの時代になってきて、そのままでよかったのか?
何かを知っているとか出来るとか、人によっていろいろ、幅・多様性があって当たり前なのだ。それを学力と言う狭い概念に閉じ込めて、一直線に並べて序列化し、偏差値で輪切りにする、それを進路の基準に使うことが、本当はとてもおかしなことなのだ。