オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび88

ぼくの日本的神様論

どんなに七転八倒してもがいてみても、所詮は人間。自分たちの無力さ加減を思い知らされた時、人は神様に祈る。だから、自然災害が多い日本では、大自然そのものが信仰の対象となったし、さらには天神様のように、亡くなられたあと災害が多発したことで、おそれをいだき神様に祀られたパターンとかもある。

例えば、山。奈良県の三輪神社は御神体が山そのものと聞き及ぶが、もっと大きな山で言えば富士山。富士を仰ぎ見て、人の心は元気になった。リフレッシュされた。それに変わる他の存在が日本にあっただろうか?リフレッシュで言えば、名爆が信仰の対象なのも似ている。

多くの神社で、鏡が御神体というのも暗示的だ。鏡に映るものは何?白雪姫のおばあさんに聞かなくてもわかるだろう。人間の心、とりわけ醜さなのだ。(清い心の皆さん、ごめんなさい)

神仏習合とか本地垂迹とか言って、外来の仏教と日本の神様は共存してきた。日本は多神教だし、仏教は人が悟りをひらく生き方を説く宗教だから、本来は偶像崇拝と馴染まない。その辺りも共存が可能だった理由に挙げられるだろう。

日本人は、よく無宗教と言うが、それは間違いで西洋的な考え方で括れないのだ。一神教でない人が多いだけの話なのだ。きっと。