オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび136

タケさんの日本近代音楽史6

○賛美歌から唱歌・童謡へ 6

〜日本の愛唱歌の歴史を辿る(洋楽編)〜

〜日本の音楽と西洋音楽の狭間で葛藤し続けた人々〜


西洋風の山田耕筰と日本の雰囲気が漂う本居長世


赤い鳥の童謡運動の中から「この道」が生まれました。

作曲者は山田耕筰。この道の楽譜が三拍子になったり二拍子になったり変化することからも

わかるように西洋の拍子感にどうやって日本語をのせていくか?が、課題でした。

日本初の交響曲・オペラの作曲にオーケストラ設立。山田耕筰のマネジメント力や性癖はさておき、今日の日本の音楽界が山田耕筰が敷いたレールの延長線上で発展しているのは、間違いありません。

山田耕筰少年の音楽のルーツは、関西学院グリークラブで歌い始めた男声合唱(東京音楽学校=東京芸術大学は声楽科卒業)でしたが、常に作品の底に豊かなハーモニーが流れています。山田耕筰の歌曲は合唱に編曲して歌いやすいのです。

ドイツの留学経験もバックボーンになっているのでしょうが、山田耕筰の音楽は西洋風の響きを感じます。