タケさんのの日本近代音楽史7
○賛美歌から唱歌・童謡へ
〜日本の愛唱歌の歴史を辿る(洋楽編)〜
〜日本の音楽と西洋音楽の狭間で葛藤し続けた人々〜
本居という苗字は、歴史の教科書に国学者本居宣長として登場する。作曲家本居長世は宣長の血筋をひいている。音楽家への道を歩もうと決めた際、親族は猛反対だったそうだ。
しかし、音楽の道に進んでくれたおかげで、私たちは、七つの子・赤い靴・青い目の人形などの哀愁漂う童謡を歌えるわけです。
今回はこの哀愁の理由にふれたい。山田耕筰が西洋のハーモニーを自在に駆使して童謡を作曲したのに対して、本居長世は日本の音律を意識していたと思う。だから長世の曲は短調が多いのだ。
ちなみに長世の娘は、日本初の童謡歌手でした。