オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび197

温故知新。昭和の先生、最後の悪あがき2


なぜ、こんなに教員が忙しくなったのか? 本当は授業が終わったら、職員室に寄らずに帰ればいいのだ。実際、立場が非常勤講師だから、今はそうしている。

正規職員か臨時任用職員の場合は、年度が変わると、学校組織に校務分掌として、自分の名前が何ヶ所にも割り当てられる。小学校の場合、研究主題を掲げて、共同研究をしている。多くの場合、一年に一度は研究授業をする。

しかし、これらは今より教育現場に牧歌的な雰囲気が残っていた40年前にもあった。しかも夜になると連日連夜若手教員同士で飲みに行き、学校の話題こそ出せないけれど、大いに盛り上がっていたのだ。

様子が変わってきたのは、週休二日制となり、土曜日の授業分が平日に割り振られたこと。それまで子どもたちは、小学校の場合5時間で下校し放課後友だちと遊ぶ時間は今より多かったし、教員もその時間分くらいはゆとりがあったのだ。

さらに、その後ワープロ・パソコンが入ってきた。それまでは文書は手書きだったので、原稿用紙一枚400字がB5サイズの情報量だったろうか。パソコンの導入で、A4一枚に1600字が収まるようになった。単純計算で4倍である。文書は保存でき上書きが可能になったけれど、職場内を動く情報量は精選精査されることなく格段に増え続け、それに右往左往させられる毎日が始まった。廃棄ができないのは、学校は個人情報の山であり、ほとんどの文書は行政文書だから、保存年限を遵守しなけれはならない。もちろん校外に持ち出せず、学校に残って仕事するしかなかったのだ。

しかし、これだけパソコンに振り回されていながら、パソコンを授業アイテムとして活用するシステムが確立していなかったのだ。コロナ禍の休校中、オンライン授業がほとんどの学校で、成立しなかったことで明らかであろう。

本来省力化、合理化に資するはずのパソコンが、逆に教員を多忙化へと追い込んでいた一因と私は感じている。