オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび208

就職した頃の話

 

1979年4月私は横浜市の小学校教員となった。これには教育実習での経験が影響している。私は社会科専攻なので、中学校の実習は、母校で社会科を受け持った。同じ時期に同期のFさんが実習に来ており、彼は現在有名な予備校の講師をされているらしい。さて、同じ内容を教室を変えて、何度もレクチャーするのが、中学校の先生だ。中学校の教育実習は母校であったため、私のことや弟のことを覚えている先生がいらっしゃり、懐かしいと同時に、とても照れ臭かった。

小中の両方の教育実習を終えて、飽きっぽい私にとっては、その場で生のアドリブ対応が必要な小学校の方が断然おもしろかった。とにかく予想がつかない子どもたちの動きが新鮮だった。生もの取り扱い注意!と同様なのだ。

教育学部に進学したくせに、教員になるのがイヤだったわけは、とにかくこの職業が権威を笠に着た、上から目線の仕事であることに反発があったわけです。けれど小学校での実習体験を通して、リアルに現在の「生の自分」を試すことができる仕事であることが実感できました。報道・出版系の仕事にも興味があったのですが、取材するよりも取材対象になる側の方がいいと感じたのです。

 

その頃は、教育実習から採用試験までの期間がとても短く、しかも4年生のくせに堂々と某女子大との合ハイ(合同ハイキング)に抜け抜けと参加していました。

我ながら呆れ返るような所業なのだけれど、なぜか試験に受かり、結局その後42年余り小学校で教員をやってきました。