田原総一郎「僕はこうやって来た」を読む
左翼とか右翼とかに括られることを、いざきよしとしない人々は、実存主義系の本にどっぷり浸かっていた時期がある。そんな気がしている。田原総一郎もサルトルやカミュにかぶれていた青年だったらしい。
今やらないでいつやるんじゃあ!やるなら思いっきり全存在を懸けて突き進む。東京12チャンネルでディレクターをしていた頃の、田原さんにはそのような勢いを感じる。「便所の下駄」と容貌を揶揄されようが、好奇心の赴くまま、今面白いと思ったことを自分の仕事に変えていく。時に人を怯ませ、時に本音を吐き出させてしまう迫力の源泉は、思いっきりのよさにあるのかもしれない。
この手のドン・キホーテには、サンチョ・パンサ的な伴走者がいる。最終章に奥様を亡くされた話が出てくるが、女性運動家でもあった奥様が、田原総一郎の良き伴走者だったのだと感じられた。
何でもズケズケ言ってくれる妻は、宝物なのかもしれないなぁ。