オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび228

アルノ・グリューン「人はなぜ憎しみを抱くのか」を読む

 

自分の中に本来的に持っていたはずの「内なる他人」と対立することから憎しみが生まれると作者は言う。それは、従順を装い親とその背後にある社会に適合し育ってきた日常の世間的な自分。つまり偽りの姿を装っている自分を守るためらしい。

だとすれば、親に従順で社会にもうまく適合したリーダーほど、本来の「内なる他人」への憎しみが巨大化してしまう。本音と建前を使い分ける日本の学校で、一向にいじめがなくならない理由や過去の歴史上の英雄たちが悉く残虐な面を持っているのは、内なる他人との対立が故なのか?

幼児期の親と子の関係、親からの愛を信じなければ生きていけない幼児と、子どもに惜しみなく愛情を注ぐ親が偽りの姿として語られる。思い起こされるのは幼児に対する相次ぐ虐待事件だ。そんなバカな! と思えるような偽らない親の姿は実際は報道されるより遥かに多いし、実はそれは最近になって事件化するようになっただけで、昔からあったことなのだ。その親との緊張関係の中で、子どもは本来の自分=内なる他人を隠し、従順を装う自分をつくってしまう。

本来の自分自身として、作者は弱さを語る。弱い自分を否定することで生きてきたので、他人が弱さをさらけ出すとそれが許せない憎しみになると言う。さらに愛情を憎む話が出てくる。自分が母親から与えられなかった愛情、ひたすら父親の権威に押さえつけられてしまった結果、本来の自分自身=内なる他人としての愛情を憎むのだ。(つづく)