川口素生「途中下車で訪ねる駅前の銅像」を読む
銅像について思うこと
似ている似てないは、二の次?西郷隆盛の奥さん糸子さんの「うちの人はこげなお人じゃない!」発言は何ともストレートだが、釈迦の仏像やキリスト肖像だって、どこまで似ているのかわからない。
だから像に残すことは、製作者やそれを眺める人々にとって何なのか?結局はその方への思いとか祈りの表し方ということなのだろう。
円空の木像など、デフォルメされているけれど、確実に何かを伝えている。
ところで私は、銅像をどれだけちゃんと見ていただろうか?
伊奈忠治 川口駅前 キュポ・ラ内
井上勝 東京駅丸の内口=日本鉄道の父・・
おそらく私は、これらの銅像の前あるいは下を通ったことがあったはずだが、迂闊にも通り過ぎていたのだ。
また本書には、必ず実際の銅像の写真が添えられているが、武士・軍人、政治家、実業家、文士のそれぞれの表情は、かなり違う。良寛、林市蔵(大阪府知事)、野口雨情の柔和な表情が印象的だった。いかめしく怖い顔が多い中で、ひときわ親近感が湧いてくるお顔でありました。