司馬遼太郎の本は、よく読まれているし、読むべきとさえ言えるかもしれない。亡くなったオヤジが、昔、何故か「坂の上の雲」を勧めてきたことを思い出す。ちょうど司馬史観とか、世間で言われ始めた頃だったかな?
司馬遼太郎の書くものは「きっとそうだったのかもしれないな」と読者に思わせてしまう説得力を持っている。もちろん小説は、作者の想像力で書くのだけれど、司馬さんの場合、それを裏打ちする取材がハンパじゃないのだ。(まぁ、司馬ファンならみんな知っているだろうけど)
そして志を抱き、それに向けて邁進する人々を多く描いてきた。特徴的なのは、いわゆる優等生タイプのデキスギくんより、少し能力に偏りが見られる人物を多く取り上げている点だ。
「街道をゆく」は、ルポルタージュで小説ではないからその分司馬さんの知見が輪郭を持って語られている。本書を絵巻物に例えれば、中盤に江差の港に差し掛かったあたりから画面の中心に現れるのが、幕臣榎本武揚と幕府の旗艦開陽丸である。榎本という人物や開陽丸の優れた性能を評価しながらも、いったいどの程度操艦を学んでいたのか? 官軍が手出しができないほどの戦力を有した開陽丸がなぜい江差の海に沈んでしまったのか? 司馬遼太郎は、若干皮肉っぽい冷たい視線で幕臣の限界を語っている。
このシニカルの視線は、随所に現れるわけでして、
・日本人が新しいもの食いというのはウソ。中央への均一化という意識に絶えず動かされているに過ぎない。
・人間というのは、やつらの暮らしの内側にいる動物をきらうのだ。カラス、ゴキブリ、ハエ、イエネズミ、ドブネズミ
この小気味良さがファンを惹きつけているのだろう。
・昭和41年湯川の宿に泊まり、とても寒かった経験からは、人間を極端な寒さから守るという点で、日本ではそういう思想(=寒さに耐える暖房を工夫する建築のこと)がない。この文章は後半の災害の罹災民によって切り拓かれた新十津川や囚人が作った道、屯田兵の実態へと繋がる。さらに日本における奴隷史に記述が及ぶが、歴史を美化せずリアルな実態を正面からしっかり見据える構えは、やはりさすがである。
最後に登場する人物は、関寛斎という蘭方医である。北海道陸別の開拓民として生涯を終えるのだが、徳冨蘆花との親交やトルストイへの想いなどから、関寛斎の人となりや思想を炙り出している。およそ名誉欲とか金銭欲、物欲と遠いところにいた人で、きっと「胡蝶の夢」を読んだ時にどこかで登場しているはずだが、こんな人が日本にいたことを誇りに感じていいと私は思う。