オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび258

金森修ベルクソン」を読む3

 

解説者は最終章で習慣についてふれる。習慣を獲得するのは生物だけだが、機械的に習慣を繰り返しているのは、予期できない偶発的な事件に備えるための準備だという。少なくともそれに対応できる部分を余白? としてキープしておく。

この余白は、自由という言葉に置き換えられる。私たちは過去の奴隷ではない。本当の時間とは瞬間瞬間にとてつもない産出能力を秘めているのであり、本来的には私たちは存在の奥底から自由な存在なのだ!

この希望や可能性を仄めかすベルクソンの言葉が、後世ドゥルーズに影響しているのは、ほぼ疑いないと思う。同じところをグルグル回っている時間から抜け出すヒントが隠されている気がします。コロナ禍の現在、出口が見つからない時間の環の中で、私たちは何を溜め込み何を準備しているはずなのか? 大袈裟だけどベルクソンの言葉は闇夜を照らすともしびになり得るかもしれない。