オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび280

頑張った結果に責任がもてますか? 4

 

子どもたちは、学校に来たら先生の顔を見て過ごさなければなりません。先生が怖い顔をしていたり、ピリピリしていたら、それが子どもに伝染することは疑いのないことです。

私は、教師としての資質能力など大してないと開き直って、とにかく楽しい先生でいたいと、極めて単純ですがそれだけを考えていました。

アクティブラーニングなんて難しい言葉を使っていますが、要は子どもと対話しながら学習を進めるってことでしょう? 何か、これもしなくちゃあれもしなくちゃと思い詰めると、確かに今も昔も教育現場はパンクです。仕事の忙しさを勤務時間で計ってもパンクです。

けれども、要はスタンスじゃないですかね。こうしなきゃ、ああしなくっちゃではなくて、子どもに直接跳ね返ること以外なら、事務作業はもっとテキトーにゆるゆるやっても構わないと思うのです。授業中に脱線したって、学習が進んでいたようなことは、もともとお目こぼしされていたものです。比率として脱線話の割合が増えすぎては何の授業なのかわかりませんが、子どもたちは脱線話から先生が興味を持っていることや教科書に書いていない本当に楽しいことを学んでいたと思うのです。

私? 脱線多かったですね。「今も」かもしれませんけど・・。

今は、目当てはここに書いて、まとめはここに書いて・・なんて型にハマった黒板の使い方が、どのクラスもスタンダードになって決まっている。いろいろなところに注意が向いてしまうお子さんがいるから机は全員前向き! どれにも根拠があるし、大切なんだけど、教室に入った瞬間担任の個性がありありと滲み出ているクラスが少なくなりました。

大きな計画と学習内容さえ抑えれば、もっと専門職として教師一人ひとりの自由度が高くていいはず! というのが私の考えです。学校全体とやらのために頑張るのではなく、目の前にいる子どもに気持ちを注ぐ、そこに喜びを見出せば、今の教師観は変わる気がします。だいぶ話が逸れたけど。これも脱線ですね