オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび286

中野東禅「良寛」を読む

 


如今、険崖に手を放ちて看るに、ただこれ旧時の栄蔵子。

40年間の修行を振り返って、何のことはない子どもの頃の栄蔵のままじゃないか! という一文。肩書き、名誉、金銭は、本来の自己に何の役にも立たない。ごまかしようがない自己に安住しようという呼びかけ。

 


手毬を袖に忍ばせ、子らと遊ぶ良寛は、誰にでも心を開くような、庶民と気持ちが通い合う僧侶だ。けれども、その本質はやはり禅僧であり、矛盾するようではあるが世事の生活とは一線を画している。フランクな存在としての良寛と、どこまでも深い精神世界の奥底に佇む良寛とが、一人の人格の中で同居している。だからこそ人々にとって興味が尽きない存在なのだろう。

そんな良寛にとって、晩年貞心尼という和歌の弟子を得たことは、大きな喜びであったに違いない。そこに最も人間らしい良寛の姿が感じられる。それは恋であったかもしれない。きっと人の心は愛によって若返り蘇るのだろう。

ふと先日ご逝去された寂聴さんのことを思った。