オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび307

松岡心平篇「世阿弥を語れば」を読む

 


初めのうち、能によく通じている方や実際に稽古された方との対談が組まれており、これでは能が大好きでかなりの数演目を熟知していないと読み進められないなと感じていた。

それが松岡正剛氏の登場で雰囲気が変わる。正剛さんは鼻から演目について深入りする気はなさそうで、連歌師の心敬や空海世阿弥の共通点が話題になってしまう。けれどもこの方が能に疎いボクのような読者にはありがたい。話題が遠くへジャンプすることで、能を起点にした日本文化史になっているのだ。話題の土俵は「日本の美意識の中で世阿弥の立ち位置はどこか?」という対話です。

続く多田富雄さんとの対談も、なかなか面白い。とりわけ能に使われている楽器群がそれぞれ独特且つ複雑な音色を持っていること。よりシンプルにより演奏しやすく発展していった西洋の楽器に対して、より演奏を困難にする進化を辿っている。結果として、まったく独特の音色が誕生したのだけど、能が表現しようとしている幽玄な世界にマッチする音楽がそこにはある。目の前の本棚に三浦裕子さんの「能や狂言の音楽入門」があるので、改めて読み直してみたくなった。

 


芸能が芸術に変化していった過程で、足利将軍の庇護が影響したことは疑いないだろう。エンターテイメントからある意味進化して現代まで続くための様式形式が確立したのだ。田舎芝居〜将軍家御用役者への飛躍の中で、世阿弥が諸芸能の要素を精選・再構築し、能ができてきた。

現在まで、六百年。「能」は、多くの演者によって受け継がれてきた。どう演じるか、どう舞うか、どう謳うか、それらの問いを自問自答し続けながら。世阿弥の足跡は、今もなお生きているのでありましょう。