中山涙「浅草芸人」を読む1
浅草と聞いて、ボクが気になるのは「浅草オペラ」。丸の内の帝国劇場ではイタリア人ローシーによる帝劇歌劇部のオペラ上演があったはずだが、興行的には不振でローシーも去り、人々の関心は浅草オペラに傾いていく。エノケンこと榎本健一もスタートは浅草オペラのコーラスボーイであった。
関東大震災による打撃やこの業界特有の集合離散によって、大正の間に浅草オペラは消えてしまう。本場の立派な正統派オペラからすれば、浅草オペラを陳腐な演芸と見下す人がいるかもしれない。でもボクには、外国からの直輸入文化を日本の大衆にもウケるように四苦八苦した一種のチャレンジとも感じられる。
エノケンは本書の中心人物だが、サトウハチローがエノケンの新婚時代に毎晩上がり込み、酒が強くなかったエノケンはハチローのお陰で? 酒が強くなってしまったらしい。そもそもハチローは数々の叙情詩を残した詩人というイメージがあるが、エノケンの劇団「カジノ・フォーリー」の文芸部にいた時代があるという。ハチローはざっくり言えば、かなりの不良少年なわけだが、怪しげな仕事を結構やっている。その頃ハチローのところに居候していた菊田一夫は、ハチローの仕事を手伝うのがイヤでくすぶっていたのだが、脚本家として、エノケンに紹介される。
さらにですよ。川端康成がエノケンたちの楽屋に入り浸っていた時代がある。不入りだった芝居が川端康成が新聞小説「浅草紅団」で紹介されたことで人気が出始めるわけだ。