中山涙「浅草芸人」を読む2
もう一人の中心人物は、古川緑波。彼は元々男爵家の出身で、菊池寛の文藝春秋で働いていた。ところが担当していた「写真時代」という雑誌の廃刊と共に、運命が急展開。宴会で声帯模写が上手かったことから菊池寛より役者への転身を勧められる。さらに輪をかけて、阪急電鉄のというより、宝塚歌劇団の創始者小林一三にまで、推されてしまう。そこで宝塚唯一の男優として、ステージに立つが、何ともダンスが上手くいかなかったらしい。けれど浅草に立ち上げた劇団「笑いの王国」で当たり始める、
やがてロッパは丸の内に有る東宝に拠点を移す。浅草という枠の中に収まることの窮屈さがあったのかもしれない。
現在のお笑い業界を支配しているのは、吉本興業だが、何の吉本は昭和初期から漫才ブーム(そもそもは万歳と呼んでいた)を興し、エンタツアチャコを売り出していた。そして東京では私たちの世代にもお馴染みの柳家金語楼が活躍していました。人気者の影に名作家あり、昭和初期の漫才ブームの影には秋田實がいました。
話をエノケンに戻すと、エノケン劇団の脚本家として、菊谷栄の活躍を忘れてはならない。菊田一夫の跡を継いだ形だが、彼の目指したミュージカルコメディは、後世井上ひさしにも影響を与えているようです。