藤田紀昭「パラリンピックの楽しみ方」を読む。
パラリンピックの起源は、第二次世界大戦後、グットマン博士によりイギリスのストーク・マンデヒル病院で脊髄損傷患者に行われていたリハビリだと語られる。リハビリに競技の要素を取り込むことによって、明らかに回復への時間が短くなったという。
さて、競技化し、広がりをみせるにつれてルールを共有化しなければなりません。どのような、どの程度の障がいについて、どんな競技とどんなレベル分けがなされているのか? これは子どもたちに体育を教える教員に不可欠の知識だと、筆者は語ります。
一教員として感じることは、障害がある子どもたちが、増え続けている現在、一人ひとりの個性特性にあった支援と教育が叫ばれているわけですが、現状十分にフォローしきれているとは言い難い。ならばせめて、視覚聴覚障害、肢体不自由、知的障害など個々のレベルにあったスポーツのあり方を工夫しているパラリンピックに学べることはあるんじゃないだろうか? 今、選手が、なぜこの方法でこの基準で競技をしているのか? について、健常者主体のオリンピックよりも深く考えることができると感じました。