中坊公平「金ではなく鉄として」
肩書きは必要な時があるかもしれないけれど、大して当てになるものでもない。中坊さんの肩書きは、京大卒の弁護士でして、この肩書きに恐れを成していては中坊さんの人柄にせまることはできない。ボクくらいのオヤジになると聞いてもいないのに自分の学歴を自己紹介がてら話す人がいるが、その肩書きを隠れ蓑にしようということなのか? あまり好感が湧かない。
運動も勉強も出来が悪い子どもが、農作業を手伝ううちに身体が丈夫になり、抜け道的な理数系科目を受けなくていい方法で京大に入る。三回目の司法試験に受かると、今度は放蕩三昧の日々と来る。
ところでボクには弁護士をしている叔父さんがいるのですが、ボクが中学生の頃、叔父さんが経済的な理由から都立大学の夜学に進み、昼間は仕事をしながら司法試験の勉強をしていた姿を見ていたことがあります。とにかくとてつもない勉強が必要というイメージだけが焼き付いています。
人付き合いや営業が苦手だった中坊さんの事務所には、電話一本来ない日が続く。けれどある町工場の再建に際して、債権者との和議を依頼された時、転機がやってきた。その工場に毎日通って自身もネジの芯出しに携わることで工員の士気を高めたのだ。いわゆる現場主義。中坊さんの仕事のスタイルがここから始まる。その後の活躍談は、皆様知っての通り。
中坊さん曰く「現場に神宿る」。私の仕事も教育現場などと呼ばれることがあるけれど、それが基本だと私も思う。