オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび457

佐々木幹郎「東北を聴く」を読む2

 


89年前の昭和8年も、三陸海岸津波が襲っている。その時初代高橋竹山三陸に来ていて、九死に一生を得た話が出てくる。もし津波に飲まれていたら、私たちは高橋竹山の三味線にふれる機会を永久に失うところだった。川崎ヨシさんという方が海近くの旅館にいた竹山を含む盲目の芸人四人を高台まで押し上げたのだそうだ。時間は真夜中の三時、真っ暗闇の中の避難であった。本書ではヨシさんの妹さんやご遺族の方を訪ね、話を伺うと共に南部の牛方節(牛追い唄)他を演奏している。故人高橋竹山になり代わって所縁の人に披露する芸、本書の後半に出てくる松島桂島の海岸で漁師の方と共に唄う芸、これらに著者は門付け芸の姿を見出している、

続いて相馬を訪ねる。ハアーで始まる民謡は多いが、アーで音を上げると陽旋法で明るくなり、その高さのまま長く延ばすと陰旋法的に悲しくなる例を挙げている。延ばし方は4拍半。手拍子を半拍分手でこねる。だから日本の手拍子は円運動にならないのだな。

最後はご存知の斎太郎節。また男声合唱の話になるけれど、始めのEmはすでにメンバーの身体に染み付いていて、音取りが要らない曲。民謡として歌われる場合には自然と手拍子が入るし、大漁=幸せを歌い上げるのだから人気が高いのも頷ける。本書の中で「やさしい斎太郎節」について書かれているところがある。エンヤートットの掛け声はお決まりだが、よく歌われているテンポは外洋に漕ぎ出してからであって、まだ松島湾内を漕いでいる時はそんなに速くないはずだと。

民謡には悲しい調べをもつ曲が多い。けれど「本当の元気はその悲しみの中から滲み出してくるものだ。」被災地の民謡を取材して回った著者は、そのような唄の底知れないエネルギーを感じていたのだろう。