オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび458

山川徹「カルピスをつくった男 三島海雲」を読む1

 


万里の長城居庸関を抜けて、モンゴル高原に向かった青年三島海雲。彼は遊牧民の乳製品からヒントを得てカルピスを生み出した。著者も時代は違うが、モンゴルでの草原生活を体験しているようだ。

本書は伝記であるから少年時代の教育歴が語られる。お寺の子でもある海雲は西本願寺文学寮で学僧としての日々を送る。のちに東京に移転して仏教大学になる。そこに反省会というサークルがあった。そこの機関誌が発展して、中央公論になるのですね。海雲は文学寮で恩師となる杉村楚人冠と逢う。朝日新聞の名物記者でもあった人だ。楚人冠のとの関係は生涯続く。

文学寮を出て、山口県にある開導教校の英語教師となる。開導教校とは僧侶養成所らしい。海雲は生来吃音だったが、リーダーに出てくるフランクに似ていたので、フランク先生と生徒たちからは呼ばれていた。この英語教師時代は一年で終わり、英語検定試験を受けるために上京する。ところが体調を崩し、仏教大学の最高学年に入学する。目まぐるしいが、のちの行動力を窺わせる。海雲この頃まだ22歳。

ここで教授から一通の手紙を見せられる。北京で新しい学校を作るので教師を送ってほしいという内容だ。この手紙がきっかけとなって海雲は北京へと旅立つ。大きな転機だった。