オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび459

山川徹「カルピスをつくった男 三島海雲」を読む2

 


北京東文学社で海雲は日本語教師となる。中国人に日本語を教えるだけでなく、自らも中国語や中国文化を学んだらしい。やがて北京で土倉五郎に会う。吉野杉を元手に日本の山林王と言われた資産家の息子だ。日華洋行という会社の経営に関わる海雲は軍馬の商いに手を染める。そして着目したのがモンゴルなのだ。

モンゴルと言えば、世界帝国の一翼を担って日本にも攻め寄せてきた元が連想されるが、やがて明によって元は滅ぼされてしまう。けれど元の中核をであった近衛兵の末裔は、強かに草原地帯で生き残り、次なる清王朝と結びつく。海雲が近づいた人々はそういう人たちであった。仏教徒という共通点、顔立ちが似ているという親近感もプラスに働いたに違いない。

そして遊牧民が好んで食す乳製品のうちジョウヒに砂糖を加えたものが、海雲の心を捉えたのだ。それはやがてカルピスの原点となる。遊牧民と生活していた海雲だが、実は国内には妻も子どももいたのです。妻が病いに倒れたことや商売が八方塞がりになったことをきっかけに13年の大陸生活を終えて、日本に戻った。帰国時は無一文であったという。

そして出来たのが、醍醐味という商品。その後も即順調に商売が軌道に乗ったわけではないが、試行錯誤を経てカルピスが誕生する。試飲した1人与謝野晶子は「カルピスは 奇しき力を 人に置く 新しき世の 健康のため」と詠んだ。

本書は、お馴染みのコピー「初恋の味」の斬新性や広告デザインについて追いかけていくが、同時にユニークな経営者としての海雲を紹介していく。「金ができないのはそれが必要な金ではないからだ。」金を生み出すことに血眼になっている事業家が多い中、海雲のバッグボーンは学僧であつた当時のまま仏教だったのだろう。そしてカルピスは、今日もなお私たちに健康と至福の時を提供してくれている。