オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび463

姜尚中「在日」を読む

 


在日韓国朝鮮人に対する指紋押捺が問題視された1980年代の始め、私が受け持った学級にも通名で暮らす子どもがおり、卒業証書を本名で書くかどうかについて、家庭訪問していたことを思い出す。またその頃在日の人々が多く暮らす街で仕事をしていた親父が「三国人」という言葉を使うのを聞いて、その差別的な響きにとても嫌な気分でいたことも思い出す。日本政府が解決済みとしている事案について国際法的にはそうであっても、韓国内の怒りが収まらないのは、その時代の状況を理解しようとしているのか、学ぼうとしているのか、という姿勢が問われているのだ。その上で未来志向の日韓関係が生まれるのだ。きっと。

昭和初めの世界恐慌のことは、どの歴史の教科書にも出ているが、日本が植民地として支配していた朝鮮半島の人々の暮らしぶりについて、語られることは少ない。まだ太平洋戦争が始まる前、ものすごい数の人々が生活の糧を求めて日本へ渡ったのだ。姜尚中さんの父親もその1人だったという。

子どもの記憶を辿る中で、文盲で故郷の土俗的な信仰を大切に生きる母親や同じ在日である人とのふれあいが語られる。戦前は日本人、戦後は朝鮮人? しかも母国は内戦に。そして分裂状態は今に至る訳でして。

自伝的なこの本を読むと、姜尚中さんが様々な葛藤に悩みつつ、その都度精神のバランスを取りながら、結果的により確かな視点を獲得していったプロセスが見えてくる。本書から強いタッチで伝わってくるのは、それが簡単に括ってよい生き方ではないこと。そして同時に自分が日本人として、今まで在日韓国朝鮮人について、どのようなスタンスを取ってきたのか? を問いかけるものだった。

マチュアとして(アウトサイダーと言い換えても構わないかな?)発言するということの中に知識人という一つの役割を見出そうとするエドワード・W・サイードの言葉に、パブリックコメンテーターとして著者は支えられていると言う。影響力はまるでないけれど、取るに足らないことをブログに書いているボクにも、アマチュアだからこそ言える立ち位置がどこかにあるのかもしれない。