野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む1
今マックス・ウェーバーと言えば、社会学という学問と印象が重なるけど、元々ハイデルベルグ大学で彼が学んでいたのは、法学なのです。そもそも社会学という学問が広く認知される以前でもあったのですが・・・。彼の文章表現に穴がなく、まるで公文書や法律の条文のような硬さを感じてしまうのは、私がこの手の文体が苦手だからなのでしょうか?
さて「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」筆者は、彼の出自について母方がユグノー=フランスに於けるカルヴァン派であったことを始めの方で紹介している。禁欲的なプロテスタントだからこそ資本主義社会で成功を遂げるという公式は、真面目でお堅い日本人が財を成す庶民的なサクセスストーリー、石田心学に学んだ近江商人のスタイルにどこか似ている。しかし、本当に見つめなければならないのは、資本主義が高度化? を遂げ、宗教的なバックボーンやライフスタイルなど何もなくても富が富を再生産する仕組みだろう。それは現在にも通じている。もはや何のために企業活動をしているのか? よくわからない人が出てきているのだ。
ここからはボクの呟きです。民主化とか平等原則は、今もなお格差や差別に苦しむ人々の理想である。けれど平等や格差の撤廃を掲げたはずのソ連が崩壊してすでに30年! もう一つの大国中国は、建国者である毛沢東が生き返ったら腰を抜かすような現状である。組織が巨大化してしまうと当初の目的とは別の組織を守るための正義が発生してしまい、まったく本来の理想とは違う方向に走ってしまうことが往々にしてあるのだ。ウェーバーは官僚制について期待を寄せているが、100年経った現実としては、やはり思い描いたようにはなっていない。
日々の仕事のあり方に疲弊しきっている人にとって合理化や能率化という言葉は甘美なささやきと聞こえる。しかしそれは、某富豪による企業買収の例のように存続のための大量解雇と解釈されてしまう。レバノンに逃げた某経営者の足跡についても辿るまでもないだろう。さらにこれから先はITが人の仕事を次々に奪っていく時代がやってきそうだ。