野口雅弘「マックス・ウェーバー」を読む3
本書の副題は「近代と格闘した思想家」。あとがきでも触れているが、著者は丁寧にウェーバーの時代に生きていた思想家との接点や没後の解釈や読まれ方を分析している。思想履歴が長大であるが故に、その一部だけが引用されることはあるし、原語が英訳された時の意味の広がりやさらに和訳された時の理解について、事細かく解説している。ボクの勝手な理解だけど、ウェーバーを読む背景には、日本人の「ヨーロッパ近代」に対するコンプレックスが横たわっていたのではなかろうか? 大塚久雄、丸山眞男を始めとする読み手の手ほどきを受けることで、ヨーロッパ近代って何なのか? 理解が進んだのは間違いないだろうけれど。
ところでマックス・ウェーバーの履歴を辿ると父親はガチガチの政治家で、母親はかなりの資産家。日本流に言えば、まぁええとこのボンボンなわけですね。だから精神的に不安定になって大学の教壇に立てなくなっても、そこそこ生活が成立した。彼は当時の政治状況に対して、積極的に発言しているが、結局その立ち位置に生育歴との因果関係を感じてしまいます。どんな時代に生まれたか? どんな環境に育ったか? は、エートスそのものでして、ウェーバーの時代と100年後の今はぜんぜん違う。
でも視点として経済の背景に宗教を論じる、目先の金回りでない何が人々を突き動かしているのか? を考え続けていく立ち位置は今も大切だと感じました。