森分大輔「ハンナ・アーレント」2
革命という名の元に人類はいったいどれだけの血を流してきたことか! 貧窮を解消するというスローガンの元に暴力自体が目的化してしまった事例を私たちは歴史で学んでいる。貧窮ではなく自由の獲得という意味で、アーレントはアメリカ革命を評価している。自由の獲得によって自分がありのままに生き、自己不信から解放された状態になることこそが幸せだと捉えているのだ。その背景には豊穣な大地を前提にして深刻な貧窮状況がアメリカには無かったからという。メイフラワー誓約に書き込まれた人々の約束が、この新しい国づくりへの踏み台となったのだ。
自由という概念を、解放に軸足を置いたリバティーとそこから人々が何かを始めるフリーダムに分けると、フランス革命がリバティーの実現以降、停滞してしまったことが説明できそうだ。アーレントは、アメリカ革命=南北戦争以前のアメリカに、古代ローマの共和制の影響を見る。その後合衆国憲法の制定、国の巨大化に伴い、アメリカ革命の初志が失われてしまったことは言を俟たないが、ジェファーソンのように初期の理想を守ろうとした人もいたのであります。
アーレントは、ユダヤ人虐殺に加担しエルサレムで裁判を受けたアイヒマンやナチスの高官に「悪の凡庸さ」を見ている。保身とも日和見とも受け取れるが、体制イデオロギーに対して徹底的に服従しているわけではない態度や言動を洗い出しているのだ。いくら煮えきれないからと言って彼らが罪を逃れられるはずはない。けれども、自分自身も含め「悪の凡庸さ」は、どれだけ世界を覆い尽くしていることだろう。そして多くの場合、悪に加担していることさえも無自覚で無責任なのだ。アーレントが屹立し孤独な思想を紡いだ背景は、彼女が身の置き所に常に慎重であったことと無縁ではないだろう。