オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび477

小松茂美「利休の死」を読む

 


利休は正親町天皇から64歳の時に贈られた名前で、19歳からそれまでは宗易を名乗っていた。便宜上本稿では利休で通します。ちなみに筆者は古筆学を職とされていた方なので、本書は利休の手紙など実際の文献をもとに語られている。

橋立と橋雲という利休愛用の壺を巡るいざこざを、手紙や記録を元に明らかにしていく。これを秀吉が所望し利休が一蹴したことが、後々秀吉から疎まれる原因となっていくのだが。すごいのは利休の茶室に招かれていた客人の名前! 大名オールスターズとでも言うべき人々が利休の茶に招かれているのである。

話は奥州の伊達政宗が、小田原参陣の際千利休に会おうとしたが、生憎利休は病気療養中で叶わなかったこと。翌年政宗が京都へ上洛を果たし、ようやく面会が叶ったことと、その頃の利休を巡る不穏な動きを追っていく。

利休が堺に蟄居を命ぜられ秀吉から遠ざかることで、側近として力を奮うことができる人物は誰か? 本書では背景に石田三成の讒言を想定している。さらに大徳寺の利休木像が一条戻橋に磔になると言う正気の沙汰とは思えない事件! が起きる。木像を磔にするって、どういうこと? そして秀吉に頭を下げようとしない利休は京都に呼び戻されて切腹させられる。謝る理由など利休にはなかったのだろう。有力な説として既に他家に嫁し後家となっている利休の娘を秀吉が側室にしたかったという話もある。しかもその女性は自殺してしまうのだ。どちらにしてもめちゃくちゃで、すでにこの頃の秀吉はまともな精神状態ではないですね。

本書は茶道の世界について、紹介した本ではない。歴史上のミステリーである千利休の死について豊富な資料を駆使しながら、その謎を解いていく本である。古文書の引用が大部分を占める本書を読んで、大学時代のことを思い出しました。私は教育学部社会専攻社会学研究室を卒業させていただいたのですが、廊下を隔てた向かいは歴史研究室でした。歴史に興味はあったのですが、日々古文書と向き合い仲間の姿を見て、これは私にはとてもハードルが高い研究だと感じていたのでした。