オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび485

白石仁章「戦争と諜報外交」を読む2

 


続けて本書には杉村陽太郎が登場する。国際連盟事務次長を務めた新渡戸稲造はお札の肖像画にもなり有名だが、その後任者が杉村なのだ。サイレントパートナーと揶揄されながら、常任理事国になった日本。杉村は事務次長としてヨーロッパや南アメリカで起こっている紛争の調停にあたる。首尾よく汚名返上とはならない。関東軍による満州侵略が表面化し、日本政府はそれを押しとどめることができなかったのだ。やがてリットン調査団が派遣され、報告書が出される。おおむね日本は報告書に否定的な立場をとるが、杉村は日本に有利な点もあるとして、100%否定を避けようとしているのだ。ただし支持でもなく当時の中国治安の現状に対して報告書の理解が浅いことを指定している。

歴史の教科書では、この後松岡洋右全権大使が出てきて国際連盟脱退に至る。杉村は松岡個人の資質よりも、むしろ日本国内の感情論に問題を感じている。そして杉村自身も国際連盟事務次長を辞することになる。

話は逸れますが、大使に準じる立場として公使が派遣されているのだけど、当時は全ての国と大使を交換しているわけではなく、大使館を置いていることが、友好の証であったらしい。今でも北朝鮮を始めとして幾つかの国の公館は日本国内にない。

その後、イタリア大使、フランス大使となるが、イタリア大使の頃、イタリアはエチオピアに侵攻を企てており、当時エチオピアと日本は親密な関係にあったので、通商面と政治を切り離す何ともアクロバティックな外交を展開することになる。当時の外務省に杉村を凌ぐヨーロッパ情報に詳しい人物はいなかった。しかし、残念なことに杉村も癌に冒されて、太平洋戦争前に亡くなってしまうのである。