本の始めの方で、血液型と性格の話が出てくる。松井先生は「わかる、わからない」と「納得する、納得しない」の境目が、日本語だと「わかる、わからない」で言い表せてしまうので、曖昧になるとおっしゃる。
この本が世に出たおよそ20年前、世の中はスピリチュアルブームで、占い師や何とかカウンセラーがテレビでもっともらしいことを話してウケていた。「今の科学ではわからない」というフレーズが流行った。その現象を科学と対比させてみようというのご南伸坊さん側の試み。松井先生は言う。科学者は「わかる」と「わからない」の境目を考え続けているので「ここまではわかっていて、ここから先はわからない」という答え方になると。
続いて脳の中の内部モデルというキーワードが出てくる。科学とは内部モデルにデータを入れ込むための共通語で、だからこそ世界中で共有できる。ただ人の死とか魂とか、共通語にはできない記憶もあって、それは人それぞれのやり方で内部データ化される。お葬式は、内部データ化のためのプロセスなのかもしれない。
ところで、二人の対話で南さんが「はあはあ」と応じているところと松井先生の「ふつうの人は・・」発言に、その場に居合わせたわけではないのに、妙な溝を感じてしまう。穿った見方をすれば、松井先生の科学者としての優越意識が見え隠れする気がしてしまう。南さんと同じく普通の人であり、対して自然科学に詳しくもないボクは少しコンプレックスを感じてしまった。宇宙という未知で最も面白いテーマを語り合っているだけに、引っかかってしまいました。