さだまさし「やばい老人になろう」を読む
まっさんの言う「やばい老人」の条件は三つ、知識が豊富、どんな痛みも共有してくれる、何かひとつスゴイものを持っている・・だそうだ。
やばい老人のトップバッターとして、身内のお祖母さんと父親のハードロッカー的な生き方が語られる。金銭感覚はともかくとして二人の人生は、とにかくスケールの大きい。
続けて「精霊流し」をつくるきっかけとなったのが、盲目の邪馬台国学者、宮崎康平さん。「長崎を舞台にした精霊流しの歌を作りなさい」と、さだに一言。なぜ、さだまさしがいわゆるフォークと呼ばれるジャンルに居続けているのか? 少しわかったような気がしました。そして「防人の詩」などの系譜につながるさだまさしの鎮魂歌は、和歌の挽歌の伝統と通じているという話は、なるほどと感じる。
ステージ上のトークと同じように、話は予想外の場所へ急にジャンプして着地する。転じて故郷の話になる。山本健吉さんは「町が僕を覚えてくれている町」と言い、森敦さんは「自分の魂が帰りたいなと思う町」と語る。郷愁。「案山子」で歌われる故郷とのつながりは、さだまさしの音楽が広く共感を呼ぶ理由でしょう。誰も育った町に帰りたいなと思うことがあるのは同じだから。
後半、永六輔の「年寄りに聞くに限る」という言葉が登場する。経験値不信に陥っている感がある現代の若者にどこまで響くかわからないが、日本総人口の中で高齢者の占める割合は大きいし増え続けている。年寄りの知恵を生かさない手はないでしょう!