池辺晋一郎「耳の渚」を読む1
エッセイというのは、何か書きたいけれど、持久力がない人に向いた表現した方法だと思います。「オヤジのあくび」だってその時その時でそれなりに自分の本心や立ち位置を書いているつもりなのだけれど、長編小説のように延々と物語を綴る訳ではない。池辺さんも小さなエッセイの一つ一つが、かなり音楽界の課題を突いてきている気がします。野球に例えれば毎打席がホームランみたいな感じでしょうか?
読んでいておもしろいのは、氏の同業者である作曲家について書いているところ。例えば・・・
・バッハが音楽の父として祭り上げられてしまう以前に、その時代の人としては、牢屋に入れられたり決闘したりしていたという等身大の自由なバッハ像を語る。
・続けて著者も近くで仕事をしていた武満徹。締切間際なのにビートルズやジャズを聴いていたエピソードから「世界の武満」の素顔を語っている。そして背景に特定の作曲家を権威づけようとする傾向に対して、抵抗を試みている著者の姿が見えてくる気がする。
・十二音技法でお馴染み? のシェーンベルクが登場する。著者も1960年代の学生時代にくぐり抜けた履歴があるようだ。機能和声・調性音楽の彼方に新しい音楽を夢見た時代があり、その当時はそれを現代音楽と呼んでいたのだ。すでに21世紀に入って24年。60年前の音楽界を吹き抜けていた息吹きは、過去のものになってしまった。平たく言えば、わかりにくい肌に合わない音楽は、そのうち忘れられてしまう運命にあるのかもしれない。