池辺晋一郎「耳の渚」を読む3
・映画監督今村昌平さんの「楢山節考」の音楽作りの中で「五線が見える」と指摘された経験を話している。農家でわら打ち仕事をしながら歌う歌。五線が見えるとは、西洋音楽らしさが透けて見えて、農民の作業歌になっていないと言う意味らしい。五線に音符を書くことは作曲かもしれないが、それだけでは音楽を作ったことにはならないのだろう。
・否応なしに聞こえてしまうBGMについて書いている稿がある。池辺さんが仰るようにBGMは辺りの音を支配し覆い尽くしてしまう。現在スマホ音楽をイヤホンで聴いている多くの人々はBGMに対して自分の好みの音楽を聴いているのだと、ささやかな抵抗を示しているのだろうか? それにしても耳を覆い尽くしていることは大差ない。もっと多くの人に開かれ、共有できる音空間は作れないのだろうか?
・音楽療法のところで、自然と音楽について語っている。風が強く鳴ると自然倍音列で音がして高くなっていく。自然の音は長調だったのだ。だから短調の曲なのに終止で長調を奏でるのだとおっしゃる。短調に人工的な響きを感じるのは、私も同感であります。
・20110311の大地震は、津波、原発を始めとして未曾有の被害をもたらした。著者が関わる文化活動と中止や延期を余儀なくされたことだろう。そのおよそ9年後に今度は目に見えないコロナウィルスという恐怖に襲われるのだが。そんな時だからこそ、音楽の力を信じたいと著者は言う。音楽が人を励まし、人と人とのつながりを取り戻す力になれるはずだと。ボクは単なるアマチュアかもしれないけれど、音楽のもつ力だけは、池辺晋一郎さん同様信じ続けていきたい。