オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび518

春野草結「歩いて旅する 熊野古道・高野・吉野」を読む4

 


5時起きで、川原の露天風呂に入る。山に朝靄がかかり美しい。高野山へ向かう途中では、龍神ドライブインに立ち寄る。檜の香りが店全体をみたしていた。

さて、奥の院。大会社や歴史を彩った大名らの墓苑と化していることを入定された大師は、地下てどのように感じておられるのだろうか? 日頃は神や仏にすがりつく気持ちのあり方と距離を置こうとしている私だけれど、せっかくなので? 念持仏をいただいてきた。見えない誰かと共にいる、誰かがどこかで見守ってくれている、それが弘法大師さんだっていいじゃない! 宗教心とか信仰とか、その辺りから芽生えるのかもしれない。

しかし、そこでへそ曲がりのボクは思う。見上げるような高野山の根本大塔、熊野本宮の日本一の大鳥居、いにしえは出雲にも空に届かんばかりの神殿があったと言う。なぜ、これほどまでのハッタリが必要なのだ? 権威とか威厳とかにビビって、恐れ入る気持ちは信仰心と何か関係があるのか? おそらく宗祖が望まれていなかった巨大構造物を後継者が大々的なPRのために建造したのだ。政治、宗教、軍隊・・みんな似たり寄ったりの失敗をやらかしている。話は飛躍するが、日本で天皇家が千数百年存在してきたのは、古墳時代はいざ知らず、自分自身が比較的身丈に合った暮らしを続けいらしたからだろう。そんな気がしています。

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