オヤジのあくび

タケさんの気楽に行こうよ道草人生の続編です。

オヤジのあくび536

赤坂英一「最後のクジラ」を読む

 


監督代行を務めていた時期から話は始まる。えっ、田代さんって監督やっていたの? ほとんどのファンが忘れかけている突然の監督就任とその後の苦闘を著者は追いかけている。シーズン途中で監督が代わるのだからチーム状態が良いはずがない。悔しい、苦しい試合を重ねていくが、残念な体験は高校時代に遡る。本人曰く「オレのエラーのせいで甲子園を逃した」相手はその年全国優勝を果たした桐蔭学園だった。

話は横道に逸れて盟友高木由一のエピソードが出る。彼はプロ野球の入団テストを受ける前は相模原市役所の公務員だったんですね。この二人にとって良き先輩でありアドバイザーだったのが、クリート・ボイヤー。ちょっと調べてみたら、何と彼は王さんをマンションに呼んでアドバイスをしているのだ。大洋のクリーンアップを打った高木、田代は、ボイヤーの進言で活躍の場を得たのだ。

田代はホームランバッターとして活躍した後、ラーメン屋→二軍監督という人生を辿る。二軍で寮に泊まり込みで打撃コーチをしていた頃、金城龍彦を指導している。バットの持ち方について助言した金城は翌年首位打者と新人王を同時に受賞する。教え子紹介二人目は吉村。内川、村田とクリーンアップを打っていた選手です。(みんな横浜を離れてしまいましたが・・)長距離ヒッターですが、田代監督代行の時は一番を打っていたことがあります。田代はいったいどんな指導者だったのか? 本の中に2回ほど選手を怒鳴る場面が出てくる。元々がゴジラ松井をさらに厳つくしたような風貌で、ちっともオバQに似ていたいのだけど、本気で怒ると怖そうだ。

一球もバットを振らずに見逃し三振、バッターに勝負を挑もうとしない逃げの投球、田代が教えたかったことは「攻めろ」の一言に尽きるだろう。それは野球に限らない教えでもあるけれど。

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